2018年3月10日土曜日

低血糖と糖尿病の話

こんにちは、迷図です。

今回は私がプロフィールに書いている緩徐進行1型糖尿病について書いていこうと思います。病気をアイデンティティにしてしまうと治療の邪魔になるなどとも聞きますが、これこそが私の人生を左右したといって過言ではないですし、現在の医療では一生治ることのない病気です。まあ多分アイデンティティの一部としても差支えないでしょう。もしも医療が進歩して治ることがあっても、私が糖尿病だったことは覆らない過去ですしね。

まず私がこの病気の予兆を感じ始めたのは中学生の頃でした。自己紹介で少し書きましたが、私は中学時代不登校でした。いじめが当たり前にあり学級崩壊に近い状況になっているクラスにメンタルをやられてしまい、そのうつ状態を加速させたのが低血糖だったのです。緩徐進行1型糖尿病はその名の通り少しずつ進行する糖尿病で、発症してすぐはインスリンも必要ありません。ただ私の場合、膵臓が弱ってインスリン分泌が遅れてしまっていたようで、糖質をたくさん(といっても常識的な範囲です。お茶碗一杯のご飯とか)摂取すると血糖値が急上昇し、慌てた膵臓がインスリンを出す頃には既に運動などで下がり始めているために低血糖を起こしてしまう体になっていました。私はどうも低血糖がメンタルに来やすいタイプのようで、低血糖を起こす度に希死念慮に襲われます。実のところは今もそうです。インスリンを打ちすぎてしまうとすぐに死にたくなってしまいます。まあブドウ糖錠剤を口に入れるだけで治るんですが。とはいえ精神科に通っていた当時は糖質が関係あるなんて夢にも思わず、ごく普通のご飯とおかずの食事を取って、そうして食後5時間後くらいには決まって死にたい、死にたいと涙するようになってしまっていたのでした。もちろん向精神薬はほとんど効きませんでした。

それでもなんとか別室登校したりフリースクールに通ったり、プリント類を持ってきてくれる友人たちにも恵まれた(その内の一人が今の夫です)おかげで推薦枠で工業高校に入ることができました。この高校は設計士をやっていた父の母校でもあり、工業系に興味があってなおかつ強い私には非常に楽しいところでした。まず授業そのものが楽しかったです。義務教育では全くわからなかった「これはなんの役に立つのか」が示されてから学習に入るというのはモチベーションも上がりますし、知らなかったことを知ることの喜びみたいなものを学んだのはその頃でしょうか。しかしその頃には低血糖症が更に深刻化していました。少しでも空腹を我慢すると手が震え思考がまとまらなくなり、あまりの希死念慮に授業中であろうと下校中であろうと涙が止まらなくなることがありました。これは単なる症状だとわかっていても、死にたいという感情が外から投げ込まれるように頭に入ってきて、ずっとそれに支配されるのです。常にカバンにお菓子類を入れ、休み時間には手を震えさせながらそれを口に運ぶような日が続きました。甘いものを食べて少しするとそれらはすべて落ち着くため、私の体重は少しずつ増えていきました。そうしてある日、私にも少しは知識があったので低血糖症を疑いました。しかし病院に行っても「インスリンノーマもないのに低血糖なんて起きる訳がない」と取り合ってもらえず、私のつらい日々はまだまだ続くこととなりました。

そうして高校を出席日数ギリギリで卒業しましたが、こんな状態ではとても就職できず、就職支援センターで研修しながら就職先を探すことにしました。そこから就職したのは板金屋さんでした。支援センターから行ったインターンシップでの製図の仕事が楽しかったのです。ただインターンシップ先とは違いそこは現場の仕事で、材料一つ動かすのにもクレーンが必要な大型板金は体力のない私には向かず、数週間で熱を出し退職となりました。金属加工そのものは好きでも、体力がついていかない歯がゆさにただただ無力感を味わいました。
次に就職したのはケーキ工場のアルバイトでした。このとき既に会社勤めを一生やるのは無理だと悟っておりましたので、独立してケーキ屋をやりたかったのです。ただ製菓専門学校に行く勇気も出ず、まずは飛び込んでみようと行ってみたのでした。工場と言ってもライン作業などではなくすべて手作りのところで、8歳頃からずっと趣味で製菓をやっていた私なら少しはなんとかなる…と思っていたのですが、周りは製菓専門学校の学生さんや卒業生で最初からかなり焦りました。果物の皮を剥くので精一杯、休憩時間はほとんどなく低血糖で意識は飛び飛び、しかもクリスマス時期には8時始業の23時終業、8連勤も当たり前、残業手当はなしという条件で働き、案の定メンタルとフィジカルを壊し退職しました。もしケーキ屋をやることになってもクリスマスケーキを無視するか数量限定にするケーキ屋になろうという経験は得られましたが。
こうなれば短時間の労働でなんとか繋ごうと、パートタイムの職を探しました。8時半から15時、そして私の得意な製図の仕事ということで入ったのが今の紙加工の会社です。私の部署は主に箱を作っており、それに関する製図を任されていました。途中から正社員登用という形で機械オペレーターと兼任することになりました。この頃、糖質制限をすると低血糖を起こさずに済むことに気が付き、それでなんとかやっていけていたため親元を離れ一人暮らしを始めました。もうだいたいお分かりかと思いますが、経験者二人分の仕事を任され、家事(特に自炊ですね。糖質制限は自炊なしにはなかなか成り立ちません…)もすべて自分でやった新人の私は、また熱を出し続け退職しました。

社会生活不適合者の烙印を押されたような気分になりながらも実家に戻りしばらく療養し、少し体調が回復してきたので無職を楽しむことにしました。開き直るのが上手くなったのかもしれません。貯金だけは得意だったので、しばらく働かなくても蓄えはありましたしね。旅行に行ったり、ただツイッターばかりして過ごしたりしていました。しかしながらまた転機が。先輩が鬱で退職してしまい、元々3人しかいなかった部署でたった1人になってしまった元上司からお呼びがかかりました。今書いていて、この時点で嫌な予感がしますね。そうです、私はまた体調を崩しまくり休み休みパートをしていたのです。今度は糖質制限をしていても高血糖による強い眠気が、そしてその反動で来る低血糖が起きました…が、ついに尿糖が下りました。長い低血糖症期間を経て、私はやっと糖尿病と診断されたのでした。そうなってからは早かったです。今の医療制度では糖尿病と診断されない限り何もできないらしく、2型のように徐々に進んでいるものの抗GAD抗体が高いため緩徐進行1型糖尿病という診断が下りました。インスリン療法が始まり、1食20g以下程度の糖質制限ではどうにもならないほど(糖質1gで血糖値が10mg/dl上がる…)悪化していたことが判明しました。
そこから今に至ります。少しずつ血糖コントロールがうまくいき、低血糖で死にたくなることも高血糖で非常に強い眠気に襲われることもほとんどありません。10年ほども悩まされていた希死念慮とはそんな形で離れることとなったのです。そして、私は同じようになんらかの理由で仕事が上手くできず困っている人の力になりたいと思うようになりました。会社勤めがしんどいのはインスリンを手にした今もあまり変わりありませんので、なおのこと強くそう思いました。そして製菓関連で食べていきたい。もしかすると、そのやや強欲な夢の一つの形がエデン京都になるのかもしれません。やっていきましょう。

2018年3月9日金曜日

エデン京都・進捗状況

こんにちは、迷図です。やっとのことでエデン行ってきましたレポを書き上げたところ、えらいてんちょうさんにRTしていただき沢山の方にブログ閲覧していただきました。閲覧数三桁なんて初めてです、ありがとうございます。今回はエデンに行ってきたことで本格始動し始めた、エデン京都プロジェクトの進捗についてです。

まず思いたったらすぐ行動!ということで、日曜に東京から帰宅して月曜にはもう物件探しに不動産屋さんへ。ネットで検索して目星をつけていた物件の内見に行ってきました。実際に見てみるとなかなか良かったです。アクセスが抜群によく迷子になりにくく、私の地元からかなり近く私の通勤に便利な上に友人知人も呼ぶことができそうな立地です。またカウンターはもちろん、空調も照明も湯沸し器も洋式トイレもあり、冷蔵庫と椅子さえあればすぐにでも営業可能といった雰囲気の居抜き物件でした。とりあえずその物件の資料を持って次の日に備えました。

そして火曜日、約束通り難民社長さんと梅田で待ち合わせ、物件の資料を見ていただきながら色々と相談しました。なんとなくイメージ通りの方で、はじめまして~とご挨拶したのですが、お互いになんかどっかで会ったことありますね?となれば可能性のあるところなど一つしかなく、年末の出張えらてんバーで会いました?と尋ねればビンゴでした。私がツイッターで言っていた「出張えらてんバーで会ったスパイスミックス事業をやりたいと言っていた人」は難民社長さんだったという訳です。なんたる偶然!そのアイデアパクりたいです!エデン京都で製菓ミックス粉売りたいです!!とまあそれは置いといて、まず物件についてです。どうやら条件的には相応の賃料っぽいのですが、やはりしょぼい起業をするには少し高めなようで、来週また京都でお会いして物件探しをすることとなりました。でもまだ目星つけてたとこも諦めてませんよ!その他にもケプリコの話、自己資金の話、などなどなどなど色々とためになるお話をたくさん聞かせていただきました。今回はここまでです。まだ実際には何も進んでいませんが、確かに進んでいるような気がします。やっていきましょう!

2018年3月8日木曜日

エデン(など)に行きました 後編

さて前回から引き続き、ついにエデンへ向かいます。しょぼい喫茶店で出会った方と一緒にバスに乗り、グーグルマップを頼りにしながら…二人して迷子気味になってました。土地勘のない人間には地味に厳しいところにありますね…?とはいえその方がしっかりしてらしたのでなんとか到着。わかりにくい場所にあるとは聞いていましたが本当にわかりにくい…!隠れ家…!とまあ今回のイベントはエデンコンでした。私の予定ありきで3/3エデン行くぞ!!と意気込んでいたためどんなイベントをやっているのか当日まで確認していないという計画性のなさで、当日になって既婚者ですけど大丈夫ですか?などとDMするような始末でした。ただ無事にOKをもらうことができ、ツイッターで唯一バズったのが「恋人と結婚する必要はない」ツイートである人間として、結婚はいいぞお姉さんをやることにしました。結婚はいいぞ。なんせ収入の少ない人間が扶養に入れば所得税が安くなります。社会保険料も国民年金保険料もいりません。なんてお得なんでしょう。「お金がないから結婚できない」ではなく「お金がないから結婚しよう」でいきましょう。法的に家族になっても大丈夫そうな人間と結婚しましょう。そうして席替えの度に男性に結婚はいいぞと洗脳していきました。成功したかどうかはわかりませんし、えらてん結婚相談所を知ってる方であればそもそも今更感あふれる話だった可能性も高めですが。
そして無事にエデンコンも終わり、疲れたバーが始まりました。とはいえ最初の方はエデンコンの続きのようになっており、私の結婚観を語ることとなったりしました。私はあのようなツイートをしていたように、今の夫と恋愛感情によっては結び付いていないのですね。古くからの友人と友人のまま結婚しましたのでお見合いともまた違うのですが、それが友愛であっても愛する人と家族になれるというのは素晴らしいことです。私はいまだに自分のセクシャリティをよくわかっていませんが、結婚は恋愛感情のみによって行われるものでないという立場をとる以上、シスジェンダーやヘテロセクシャルでなくても戸籍上の異性と結婚できると思っています。あと、インスリンの注射針作りに携わっていた方に出会ったりしました。「最悪体内に針が残留するかもしれないので、よく確認して使ってください」とのことでしたが、試し打ちの際に曲がりなどがないかもしっかり見ておりますので大丈夫です。一度落としてしまって曲がったときには素直に使わず捨てましたし。安全第一でいきましょう。

そしていよいよ疲れたバーも終盤、22時30分になりついに集金おじさんことえらいてんちょうさんが!タイミングを見計らって話しかけ、今回の旅のメインイベントことエデン京都のための打ち合わせ(というほどでもなかった…?とにかく色々とざっくり相談しました)をしました。経営に関してはエデンのイメージを損なわない限り自由であること、ある程度定期的にバーテンを派遣してくださること、ブログに書いてらしたことを補強するようなお話をしてくださいました。お話してもなんとなくフワッとしたままなのは変わりませんでしたが、関西で協力してくださる方、難民社長さんを紹介してくださり、なんだかそれだけで一気に進んだような気もします。6日にさっそくお会いしてきましたので、その時のこともまたまとめます。

ここで私は自分の手が震えていることに気が付きました。えらてんさんに会えた緊張だろうか?これからエデン京都をやる武者震いだろうか?普通に低血糖でした。70しかありませんでした。急いでブドウ糖の錠剤を口に放り込みながらエデンを後にし、案内してもらいながら宿泊先であるエデンハウスへ。が、しかし迷いました。案内してもらったのに、行ったことのある人でも迷うエデンハウス…迷図という名前でいておいてなんですが、エデン京都は(ある程度)迷いにくい場所にしようと決心したのでした。血糖値はちゃんと正常値に戻りました。

無事に(?)エデンハウスに到着し、管理人さんに説明を受けさっそくお部屋に。入居者の方が帰省中だそうで、女性部屋は私一人での利用でした。一人で広い部屋を使えて得したような、お話できる人がいなくて損したような。湯音調節がものすごく下手な私は冷たいシャワーや熱すぎるシャワーにビクビクしながら入浴し、その日はそれでベッドに入りました。寝落ちしないよう難民社長さんとの約束を取り付け、無事就寝です。いつもこういった旅はネットカフェでの宿泊なので、ふかふかのベッドで寝られるのはリッチな感じですねぇ。布団もしっかりかぶれてあったかかったですし。

朝は6時半ごろに起床し、7時には朝食をとりました。そういえば前にポルカしてたなと思い出し、卵かけご飯をいただきました。朝ごはんに卵かけごはん、いいですね…そうしてゆっくり朝食をとっていると、エデンハウス住民の方が下りてこられしばらくお話していました。18きっぷで来たことを伝え、安く東京に来る方法などを共有しあい、nottecoという乗り合いシステムサイト?があることを教わったりしました。次に来るときにはまた見てみることにしましょう。プロテインと難消化性デキストリンと豆乳(しかし豆乳は毎日飲みすぎたせいか豆乳アレルギーに…つらい…)を持ってらして、私と方向性が同じだ…!などと驚いているとプロテイン分けてもらえました。タンパク質は大事ですよね、ありがとうございました。初めて飲むプレーン味のプロテインでしたが、そんなに安くプロテインが買えるとも知りませんでした。色々とためになります…

そんなこんなでタンパク質をしっかり摂取しエデンハウスを後にし、若干迷子になりつつ雰囲気で池袋駅にたどり着きました。やっとお土産が買える!京都と違って東京は土産物屋が少なくて不親切だなぁなどと観光地育ちのよくわからない感想を抱きつつ、キヨスクでひよ子を購入しました。某県の方には東京土産じゃない!と怒られそうですが、渡す人は某県出身ではなかったはずなのでまあいいでしょう。そしてまた18きっぷで京都へ。

なかなか長い旅でしたが、これで2日しか経っていないかと思うとなにか恐ろしいものがありましたね。長いのではなく密度が高かったのでしょう。今までの旅では兼オフ会がいいところで現地の人との会話などはほとんどなく、ただただ静かな一人旅といった面が強かったのですが、これほど初対面の方とお話したのは初めてでした。あまり詳しくは書けませんがそのどれもが濃く、人との交流というのは人生経験の共有なのかもしれないとさえ思いました。しょぼい喫茶店やエデンやエデンハウスの言語化しにくい居心地のよさ、これから言語化したりしなかったりしながら同じような、あるいはまた違った居心地のいい空間をめざしてエデン京都をやっていきたいと思いました。やっていきましょう!!

2018年3月6日火曜日

エデン(など)に行きました 前編

「近いうちにエデンにも行きます!!」
昨年末にお邪魔した祇園の或いは、「」さんでの出張えらてんバーで私はそう言いました。シャコウジレイなどではなく本心で言ったとはいえ、これはいつまで経ってもエデンに行けないフラグが立ってしまったのでは?行く行く詐欺なのでは?と思いました。なんやかんやと言い訳して行けないと言い出しそうな。仕事が忙しくてとか、体調があんまり安定しなくてとか、旅費が足りない気がしてとか。でも土日は休みですし、毎日寝込んでる訳じゃないですし、お金もまあまああります。行こうと思えば行けます。行きました。そこそこの休暇と心身の健康とお金があればなんとかなります。なりました。そういう訳で青春18きっぷでエデンに行ってきましたレポです。

まず最初に、私は格安航空で東京に行くつもりだったのですね。無職の頃に格安航空で一人仙台旅行に行き、往復でも1万円かからないのかと感動していましたので。しかしながら今は製造業で働いている身、金土日の格安航空券は格安ですがそこまで格安でもありません。まあ仕方ない必要経費か…と思っていたところで、我らがえらいてんちょうさんから青春18きっぷがあるとの助言が。その手があった!仙台とちがって(実は仙台も京都からギリギリ1日で行けるっぽいんですが)東京ならなんとか1日で行ける!とまあここまでが導入です。ここからは関西圏からエデンに行く人向けに役に立ったらいいなぁという本題に入ります。単なる私の日記なので、参考にしたりしなかったりしながらいざエデン!!


さて、「青春18きっぷを買わなければ!」と思って私が行ったのが金券ショップです。切符、切手、収入印紙、商品券、だいたいの金券は近所の金券ショップにあります。金券ショップの店員さんにすっかり顔を覚えられ、やたらにこやかに対応されるようになってきた程度には常連です。今回もそこを利用しました。11850円のところ、11600円でした。微々たる差に見えて1回あたり50円も安い!みどりの窓口まで買いに行く交通費などを考慮するともっと安いことになりますので、近所に金券ショップがある方は是非金券ショップで入手してみてください。

次に当日の動きですね。せっかくの東京、いくら18きっぷが安いと言ったってエデンにしか行かないのはもったいないです。そこで開店したばかりのしょぼい喫茶店にもお邪魔することにし、となればと始発で東京に向かうことにしました。私の住むところからJRの最寄り駅までは徒歩30分、それに間に合うよう苦手な早起き(4時起き!眠い!)をして、文明の利器スマートフォンで調べた乗換案内の通りに乗り換えていきます。それだけです。それだけなんですがいくつかポイントが。まず9時間超の大移動になりますので、トイレに行くタイミングと食事のタイミングはしっかり考えた方がいいです。途中下車して飲食店を探すのもアリですが、パンやおにぎりなどを持っていくと乗換の待ち時間などにサッと食べることができると思います。25分ほどホームで待つことがたまにありますので、その間にあんまりお腹空いてなくてもトイレ行きたくなくても済ませておくとスムーズです。また、ホームが変わるのに乗換3分などのやや無茶な指示もたまにありますので、安全な範囲内で早歩きしたり走ったり走らなかったりして頑張って間に合わせましょう。あくまでも安全な範囲内で。あとは暇の潰し方です。本当に暇なので、眠ったりぼんやりしたり風景を眺めるだけで満足できなさそうな人は暇つぶしグッズ必須かと思います。永遠にツイッターやってられるわという人でもモバイルバッテリーなどがそこに入るかと思います。私はモバイルバッテリーを持っていきました。が、大問題が発生しましたね。家にあったケーブルを適当にひっつかんで持ってきたのですが、それがなぜか使えないケーブルで充電ができませんでした。残量30%、なかなかのピンチです。

そうしてなんやかんや東京に到着しました。その時点でもう15時です。ほぼほぼ電車内で寝ていたとはいえ、朝起きてから早くも11時間が経過しています。しょぼい喫茶店に向かうべくJR高田馬場から西武高田馬場へ。関西にはそういったものはない(と思ってるだけなのだろうか…?)のですが、ICカードだと運賃が数円安くなるっぽいです。借りてきたSuicaが役に立ちました。新井薬師前で降り、グーグルマップ先生に導かれ無事しょぼい喫茶店へ。看板がダンボールなのが印象的でした。えもいてんちょうさんとおりんさんに出迎えられ、本物だー!!という顔をしつつインスリンを爆打ち(カフェのフードメニューはどこも基本的に炭水化物の暴力ですが、カーボカウントは素晴らしい糖尿病療法なのです)し、ホットサンドとチーズケーキとコーヒーをいただきました。4時から飲まず食わずでいた甲斐がありまくりました。ホットサンドはサクサクトロトロ(ポテトサラダが入っていました)、チーズケーキもどっしり濃厚でコーヒーによく合いました。とはいえ一番うれしかったのは、えもいてんちょうさんが私のことを覚えてらしたことですね。そうです!私がちょっとだけpolca投げた迷図です!開店おめでとうございます!ヤッターーー!!というところにつけこみ、スマホを充電させていただきました。これが本当にありがたかったです。なぜかケーブルが買えそうな店すらみつからず、それなしには無事に帰ってこれたかも怪しかったので。今度からはきちんとケーブルをチェックしてモバイルバッテリー持っていきます。すみませんでした。そして本当に感謝です。

長くなっていきそうなので今回はこの辺りで。次回、いよいよエデン突撃編!

2018年2月25日日曜日

模擬店は模擬しょぼい起業にもなり得るのか

前回の投稿から少し時間が空きましたが迷図です。

今回は起業したいなぁと思いつつ全くの未経験じゃないか!でもゼロという訳でもなくない?実際に起業・経営している人の経験が1000だとしたら私にも3ぐらいはあるんじゃない?と思ったのでそれについて書いていこうと思います。


ヤフオク

結構一般的なやつですね。単に不用品を片っ端から売っていく訳ですが、これが結構儲かりました。高く売れたのは自分が遊んでいたおもちゃや福袋の商品でした。20年も経てばキャラクターモノのおもちゃはマニア垂涎のアイテムになり、福袋に放り込まれるほど余っていた不人気商品はいまや廃番の入手困難品になっていたようです。当時の30倍近くの値がつくとなれば思い出なんかよりそこまでしても欲しがっている誰かに譲りたいと思うものです。どうせ押し入れの奥にしまい込んで、あってもなくても思い出に変わりなんてない不用品なんですから。少なくとも私の場合は。特に仕入れて売っていた訳ではないですが、モノの価値は需要と供給だなぁと思いまくったので一応カウントしておきましょう。


輸入代行業

Amazonのマーケットプレイスで、海外通販サイトの商品をお取り寄せ扱いで出品していました。在庫なしでモノを売る、その店で買うことによる付加価値がないとどうにもなりませんが、私は英語が中卒程度(英検3級を学校でとらされました)は身についてるっぽいので活かしてみました。英語を使うにはペラペラ喋れないと意味ないと思ってる方、そうでもないこともありますよ。私に英語で話しかけてみてください。多分ずっと曖昧にニコニコしながら謎ジェスチャーでワキワキしてると思います。
さて、これは実のところ1.5倍ほどの値をつけて売っていたのですが、英語に自信のない方なのか海外サイトにクレジットカードを登録したくないからか、意外と注文が入りました。送料の方が高いせいでまとめて個人輸入することで利益が倍以上になり、割といけるんじゃないかなぁと思っていたら同じ商品を某ヴィレッジなヴァンガードでお取り寄せできるようになってしまい、高いわ個人出品丸出しだわ納期遅いわの私では多分無理だなとすんなり撤退しました。案外続けてたらそのまま儲かってたのかもしれませんが、あんまり面白くなかったので再開する気もそんなにないです。


高校時代の模擬店

多分これがメインの話になると思います。これまでのはにぎやかしです。寂しいよりはにぎやかな方がいい気がします。
もうかれこれ5年以上前の話になりますが、あの頃から私はなんかそういうの好きだったっぽいですね。我が母校の学園祭は学園祭というよりも研究発表会に近い性質があり、あまり盛り上がるといった感じに盛り上がるものではありませんでした。当然模擬店にも力が入らず、生徒会から予算がもらえる訳でもなく、生徒のやる気もあまりありません。そんなことにリソース割くなら課題仕上げるわ、なんで自腹切ってやらないといけないんだ、ごもっともです。

そこで私はもうとことんショボくやっていこうと思った訳ですね。それでもまあだいたいみんなやる気ないんで、プロパン借りると高くつく、食べ物取り扱うと検便が必要だからいやだ、学園祭の模擬店で食べ物以外ってなんやねん、山盛りの反対意見が出てどんどん学級会が学級会になってきたので私はやや強引に私の提案を通し、出資者を募り駄菓子屋をすることにしました。

200円を1口とし、1人何口でも出資できる仕組みでクラス全員と先生、時には別のクラスの人間にも声をかけちまちまと集めていきました。この辺の発想はアレです、ズッコケ三人組です。読んだのが小2ぐらいの頃なので詳しい内容はほぼ忘れましたが、ハチベエが1株100円だったかで株式を発行してた記憶があったのですよ。ああ、そういうお金の借り方があるのか!とずっと思っていて。今思うとなんかヤバい小学生ですね。図書室に入り浸りズッコケ三人組(多分あれ対象年齢高学年ぐらいですよね?)を読みふけり株式発行したい!と思う小学二年生。まあそれはともかくそれっぽいものをやりました。
そこで出した条件はこうでした。
・1口200円とし、模擬店終了後には売り上げをその口数で割り出資者に配分する。
・ただし10円単位までで、端数は実際に店に立った者で分ける。
・返せる分が1口あたり200円を切る場合にはその分の駄菓子を原価換算で返す。
それだけです。
この仕組みなので人件費はほとんど出ません。やりたい人間が適当にやります。ただし店番する人間が自分で何口も出資しておくとモチベーションが上がりますね。自社株買い的な。あと出資者は(どんな駄菓子でもだいたい好きであれば)絶対に損をしません。200円あればだいたい220~300円分ぐらいの駄菓子が買えますので、最悪でもお得な駄菓子セットが手に入り、上手くいけばお金が増えて返ってきます。こりゃやらない手はないでしょう。私が駄菓子大好きだからそう思うだけかもしれませんが。

結果としては思ったより儲かりました。1口あたり400円をお返しすることが出来ました。2日で倍だ。すごい。
クラス30人に対し50口を超える出資があり、元手の10000円ちょいを手に京都のそういう人であれば知らない人はいないタカギへ。あそこはサイコーですね、だいたいなんでも安いですね、そうでもない商品もありますが。自分と友人の自転車に大量の駄菓子を積み込み学校へ。駄菓子、30本入りうまい棒などを想像していただくとわかりやすいかと思いますが、軽いのにすごいカサでした。そうしてそれらを適当にカゴに陳列、売りまくりました。そもそも模擬店が少ない環境にあって予想以上の売れ行きを見せ、一日目終了の時点でおおかた完売してしまったため、売り上げを持ってもう一度タカギへ。これがホントの自転車操業!とか言ってみたりしながら、一日目より多い駄菓子をまた大量購入です。(念のために書いておきますとタカギはもともと卸売のお店で、高校生が1万や2万駄菓子を買いあさったところで全く買い占めにはなりません。倉庫型店舗の外にまだ倉庫があり、イメージとしてはコストコでしょうか。いや、コストコ行ったことないんですが。)そうして2日目もなんやかんやほぼ完売し、残った駄菓子で店番してくれたクラスメイトと駄菓子パーティーです。やはり駄菓子はいいものだ…
そういう訳で大成功をおさめたショボい模擬店、なかなか楽しかったですね。企画から買い出しから店番から事務作業からかなりの部分を私がやったとはいえ、クラスメイトの協力なしには実現しなかったというのも含めいい経験になりました。

しかしこのショボい模擬店を起業と同一視するのは流石に楽観的でしょうね。人件費は私がなにもかもやれば実際の経営でも無料ですが、まず賃料と光熱費がかかってませんし、集客するための宣伝もいりません。果たしてこんなんでもやっていけるのでしょうか。わからなくてもやれるだけやっていきましょう、そういうものなのだとは思います。やっていきましょう。

2018年2月15日木曜日

自己紹介などなど

はじめましての人も、Twitterでご存知の方にも改めまして、迷図といいます。
起業したいなぁという漠然とした思いを持ちつつここまでやってきましたが、ここ一年でえらいてんちょう氏やその周辺の方々の動きに触発され、その起業したさが徐々に具体性をもってきたところです。自分にもやっていけるんじゃないか、いけちゃうんじゃないか?という思い上がり、あるいは正しい自己評価だったら嬉しい希望的観測でもってやっていきたいですね。ええ、やっていきましょう。では少し自己紹介を。

93年生まれの24歳、京都在住。
緩徐進行1型糖尿病とASD持ちで、診断はありませんがADHD傾向も少し。
障害者手帳と障害年金もらってます。
低所得世帯故に就学援助を受け給食費も修学旅行費も払ったことない家庭で育ち、中学は不登校、高校は工業高校に行ってました。そこからは板金屋やったりケーキ屋やったり箱屋やったり。今はその箱屋さんで製造補助のパートをしていますが、朝なかなか起きられない人間にはつらいところ…8歳頃から趣味と実益かねて続けているショボい製菓や製パンでなんかやっていきたいなぁと思っています。料理もできます。店舗経営の経験などは全くありませんが、学園祭の模擬店などは企画運営主導してたので、そういう方向のは結構好きです。よろしくお願いします。